2003/5/30
そのフォノプリとの出逢いは既述の通り、私にとっては衝撃的な出来事だった。ハイエンドだからと言う事ではない。もちろん高価だし、芸術的ともいえるコンストラクション、コンピューター・シュミレーションによって決定された最短距離の空中配線、第一級の使用部品と言う事も十分衝撃に値する。しかし当時四十男の心を捉えたのはそれだけではない。
実はラジオ技術(1993年12月号)に掲載された小原由夫さんの「探訪・クラフツマンシップのある情景」の文章を読み、それがきっかけでその後興味を持って調べていくうちにマーレス・デザインを主宰しているピーター・マーレス氏の生き様・価値観そのもに感動してしまったのだ。
19歳の青年が文字通り生死をかけてチェコスロバキアから川を泳いで亡命し、コニサー2.0を開発するまでの秘話、製品開発のコンセプト・根底にある価値観を知るにつけ、何としてもコニサー2.0でアナログを再生してみたいと思うようになった。3.0や4.0ではない。2.0でなければならない理由があった。それが私のアナログ再生の目指すべき一つの到達点となった。
オーディオは音楽の再生装置ゆえ、はじめに音ありきだと思う。いくらデザインが良くても一級部品を使っていても、チープな音しか再生できなければ音楽再生装置としては価値は半減する。しかし逆にクオリティやスペックだけでは語れない部分もある。それこそ趣味の世界ゆえ、そこに何を求めるか、個人の価値観によってその選択の基準は各人各様である。
フォノイコにしても高価なものはいくらでもある。FMアコースティック222MkUや最近ではボルダーの2008などという高額ハイエンド製品も見受けられるが、興味を誘われない。何故だろう?そこに製作者の顔が見えないからかもしれない。工業製品としてスペック的には確かにハイクオリティかもしれない。しかしその音を聴いてみたいとは思っても、自分の手元に置いて使ってみたいという気持が起きてこない。
私は自分で言うのもおかしいが、割と情動的で感動しやすいタイプだ。オーディオ製品の選択についても、音以前のファクターをかなり重視している。SDサウンドのアイワンやSAEC WE407/23或いはROKSAN Xerxes]の選択とも通ずる所がある。
製品そのものに人格を投影した製作者の熱い思い、主張が込められており、それがその製品から伝わってくる。しかもそこから私好みの音が聴こえてくるとなればベストチョイスとなる。大量生産の工業製品にはない温もり、あたかも分身のごとく製作者が思いが込められ、或いは自ら半田ごてを握りしめている姿の写り込み、漂うオーラ、それがこちらのベクトルと一致した時心惹かれてしまう。
プリアンプもハイテク技術の詰まったハイスペックの製品は、そこに人のぬくもりを感じさせる何かがないと聴いてみたいと思わない。パワーアンプにしてもどんなにパワーが出ようと又耐久力があろうとも、業務用製品などは全く興味が沸かない。PA用ごときのスピーカーシステムにしてもしかり。
オーディオの目的が「限りなき原音忠実再生の追及」という人にとっては、終わりなき遥かな旅であろう。私のスタンスはそうではない。
もう今までと同じだけの時間はない。何度か言っているが、せいぜいあと10年くらいが私のベストコンディションの限界だと思っている。これからは若干の紆余曲折はあるものの、自分が本当に気に入ったモノ、心から満足できるモノに囲まれて暮らしていきたい。自分の価値観とベクトルがあったモノ探しの旅はこの歳になってようやく先が見えはじめてきた。心地よく音楽を聴きたい。楽しみたい。ひょっとしたら音を求めて旅立って来たものの、終着駅は音ではなかったのかもしれない。
10年目にして、この目でしかと実物の内部配線の様子を拝む事ができた。


1965年、当時共産主義国家だったチェコスロバキアに生まれる。「抑圧」と「束縛」が蔓延するする世界に別れを告げるため、19歳の時意を決して川を泳いでオーストリアに脱出・亡命する。後方から川面に銃声が響き渡り、何度も殺されると思ったという。

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そしてこのコニサー2.0、開発の段階でピーターはライラのカートリッジ 初代「パルナサス」をリファレンスカートリッジとして選んだ。パルナサスはコニサー2.0によってはじめてその能力が全開される。正にコニサー2.0はパルナサスの為の究極のフォノイコといえる。ゆえにコニサーを手にしたとき、どうしてもパルナスでなければならなかった理由はそこにあった。