気まぐれ日記   

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先月翌月

【オーディオの原点を訪ねて】



今日は何の日? 7月31日は蓄音機の日だそうだ。1877年、エジソンが蓄音機の特許を取得したことに由来しているという。

 SACD、CDそしてアナログレコード等音楽ソフトそしてそれを鳴らすオーディオ機器の原点は言わずもがな1877年にかのエジソンが発明した蓄音機に他ならない。今、音楽を好きな時に聴ける、この技術と文化の恩恵に与ることが出来るのは、かの偉大なる発明王エジソンのお陰である。
「蓄音機の日」に合わせたつもりはないが、たまたまお互いの都合が一致して、今日は茨城の青柳さんのお宅にお邪魔した。そこで目と耳にしたのは....

青柳さんの演出が揮っている。

始めに聴かせて頂いたのはアナログではグラハムのアームに取り付けたライラのタイタン、プレーヤーはトーレンスのリファレンス。デジタルではP0sとdCSのDAC954Uの組み合わせ。コンデンサー型スピーカーのアクースタットで聴かせて頂いたバロック音楽はどこまでも清楚で刺激的な厭な音が一切出ていない。音圧・音場といった切り口ではなく、透明感・瑞々しさといいった音色的な好みを煮詰めた音作りである。


膨大なソフトのコレクションの中から、特に青柳さんがお気に入りのピアニストのホルショフスキーの演奏を聴かせて頂いた。90歳をすぎてもなお衰えることのない、ホルショフスキーの体から滲み出るような老練な音が、青柳さんの成熟されたシステムに呼応して、それは見事な調和を紡ぎ出していた。


現代のソフトを聴かせて頂いたあと、時代はだんだんと遡って行く。次のコーナーはSPレコードの聴き比べへといざなう。レコードプレーヤーは巨大なEMTの927st。聴かせて頂いたSPはバロック期の作曲家ジャン=フィリップ・ラモー / Jean-Philippe Rameau (1683-1764)のクラヴサン曲集、演奏者はM.MEYER。



同じソフトを電気仕掛けのシステムから本日のメイン・イベント、蓄音機での聴き比べへと移る。始めに世界で2台しか存在しないと言う HMVのロイヤルで聴く。このロイヤルは英国王室御用達の代物で当時の国王ジョージ5世のために2台作られた内の1台だそうだ。保険のために2台作られ、そのうち1台は王室に献上され、もう一台はどういう訳かここ日本の青柳邸にある。

HMVはこの他2台あり型版♯202と♯203。ロイヤルと聴き比べるとホーンの材質が異なることもあり音調が明らかに異なる。ロイヤルのホーンは木製で、音は柔らかくそして深ぶかと艶かしい。一方#202.・203は金属ホーンで音に独特の輝きがある。いずれにしてもこのHMVシリーズで聴くSPレコードは決して古臭い生気のない音ではなく、躍動感に溢れエネルギーの塊に満ちた気迫のある音である。


だんだんと青柳さんの思惑に乗せられてきた。現代の再生装置から徐々に時代を遡り、とうとうエジソンの発明した蓄音機の世界へと辿り着いた。勿論私は現物を見るのも聴くのも初めてである。オーディオ的な興味はいつしか消えてなくなり、畏敬の念をもって拝聴させて頂いた。

かしこみ かしこみ 直立不動、恐れ多くもこの世にオーディオの もとい 音楽再生の楽しみと喜びを人類にもたらしてくれた偉大なる文化の礎、原器である。その音は正に神がかって聴こえてきた。ブラスバンドの響きは何たるエネルギーに満ちた強烈な音か。バイオリンの音色は柔らかくも芯がある妖艶な響きか。ノイズは脳みそがフィルターをかけてくれるので、音楽に集中するといつしか気にならなくなってくる。  


と、思いつつもやはりメカには興味が惹かれる。1901年製エジソンの蓄音機(エジソン・スタンダード・フォノグラフ)をつぶさに観察する。ピックアップ部(サウンドボックス)は?おいおいイケダのカートリッジとそっくりではないか。形こそ5倍ぐら大きいが、ダイヤモンド針がカンチレバー無しで振動膜に直結されている。当時すでにLP(ロングプレー)用のピックアップも用意されおり、最長4分のソフトがかけられるようになっている。ゼンマイによる駆動力は強力で持続時間も長い。

ソフトの蝋管の溝には縦方向に振動が刻まれ、ピックアップ部の針先が上下することで音を拾う。この蝋管は落とすと割れる、埃にも弱い、真円を出すのが難しい、記録時間も4分がマックス、何よりも大量生産には向いていないという理由でやがて円盤へとバトンタッチされていく。

蓄音機の〆は同じくエジソンが1908年に開発したダイアモンドディスクA-250。金属部分は見事な金メッキが施され、筐体下部に納められたホーンには音量調整のためにフェルトボールが取り付けられている。ターンテーブル手前のレバーを操作するとフェルトボールがホーン開口部で前後し音量が調整できる仕組みになっている。



ソフトはダイアモンド・ディスクと呼ばれ、暑さが5mmくらいあるぶ厚いディスクで現在のLPレコードとほぼ同じ大きさである。毎分80回転で、溝には蝋管と同じく縦方向に振動が刻まれ、その当時すでに25分ものロングプレーが可能となっていた。SPレコードが最後まで4分足らずの記録しか出来なかったというのに。

音質もダイナミックレンジが広く、再生時間も6倍もの容量があり、技術的にもSPレコードを凌駕していた。にもかかわらず、このダイアモンドディスクはSPレコードとのシェアー競争に敗れてしまった。何故エジソンはビクターに蓄音機の王座の地位を明け渡さざるを得なかったのか。それは現代にも通じる経営戦略の持つ重要性を興味深くも物語っている。物理特性の優劣だけでは顧客は決して満足しない。オーディオの世界にもほぼ100年前にそんなシェアー競争があったとは。


技術に長けていたエジソンは、一方で音楽文化に対する理解が薄かったと青柳さんは指摘する。大衆が求めているものは何か?ビクターがエジソンの蓄音機を蹴落とす経営戦略とは、片っ端からその当時著名な演奏家と専属契約を結び、次から次へとソフトを出していったことにある。片面3分でも音質が悪くても、大衆は音楽そのものに飢えていた。瞬く間にSPレコードは普及し、やがてエジソンのダイアモンドディスクは市場からその姿を消すことになった。そうな。

古くはβマックスvsVHS、現在ではCDとSACD、更にはPC配信のシェアー競争、ソフト戦略が如何に大切か、スポルディングの奏でる美しいバイオリンの音色を聴きながら、思いはこれからの音楽ソフトの将来に馳せていた。

演奏家は登場しないが、音楽の自動再生装置の元祖といえばオルゴールに止めを刺す。これぞオーディオの原器と位置づけても誤りではないだろう。夕食を挟んで、次のコーナーは歴代のオルゴールを聴かせて頂く。



時代を遡ってオーディオ200年史を足早に聴いてきた。明らかに青柳さんに作為をもって暗示にかけられた(笑)。古い音は決してカビの生えたような寝ぼけた音ではない!!!

青柳邸の画像はこちらから

7/31


【久しぶりフィルさん、てーじさんinカゲトラ邸】


今日は暑い。今日も熱い。今日は更に濃くなっていた。LINN CD12とKLIMAX/KONTROLの純正ペアそしてVIOLA BRAVOで鳴らすJBL S9800は、密度が高くとても濃厚な音を奏でる。CD12の支配力が強いのか、KLIMAX/KONTROLとのペアリングでより血が濃くなったのか、曲により時にまるでこってりとした油絵を観るようだ。一転して女性ボーカルでは繊細なペン画を観るようで、細かい描写性も兼ね備えいる。カゲトラさんの音は音楽性がとても豊かだ。

持参したホレス・パーランのWeThreeからUsThreeを聴くと、耳に引っかかる高域の強さが適度に抑制され、パーランの力強いタッチがぐいぐいと前に出てくる。フィルさん持参のイノセンスでは民謡歌手による大合唱と豪快な和太鼓の織り成す一代絵巻模様がダイナミックに響き渡り、大音量にもかかわらず全く破綻しない。外は炎天下だが、カゲトラルームも熱い。しかしカゲトラさんご本人はいつもクールである。

カゲトラさんは細部に拘るいわゆるオーディオ・マニアではない。機器そのものにお金はかけているが、ケーブルにしたってセッティングしたって極めてノーマルである。しかしマニアが必死になって出そうとしている表現力なり細かいディティールなりをいとも簡単に出している。しかも涼しい顔で。余裕ある生き方がそのまま音に反映し、カゲトラルームはいつも朗々と音楽を鳴り響かせている。

ヴィジュアル・タイムで見せて頂いたDVDはスター・ウオーズ/エピソード3のサントラ盤の付録。このCDはお買い得である。エピソード1から6までのシリーズ全作のテーマを使用した「組曲」を巧く編集してあり、ついつい見とれてしまった。これは劇場でエピ3を見に行きたくなる。

7/30


【電源工事再び】

Eさんから「最近、音のいいブレーカーを見つけました。これは従来のブレーカーよりサイズが大きく手を加えることにより非常に音がよくなることがわかりました。S/Nも相当よくなります。」と連絡があり、お忙しい中取り付け工事にいらしてくれた。

既存の分電盤には、この大型のブレーカーは取り付けられないので、現場施工で加工しなければならない。従来品比べておよそ1.5倍はある。もちろんこちらのブレーカーも電磁波・高周波対策済の特別仕様品だ。換装は当然ブレーカーを遮断して行うので、クーラーはかからない。猛暑の中汗だくになって3時間近く作業が行われた。申し訳なくもあり、嬉しくもあり、Eさんの電気工事は私の元気の元である、多謝・感謝。


ブレーカー換装のついでに、3本の専用ケーブルのうち1本を200V用に換えてもらった。200V仕様のPS300の導入で、今までパワーアンプ用(200V)のタップから分岐して供給していたが、これで前段機器も独立して200V専用ケーブルを使うことが出来る。パワーアンプ、プリアンプ、デジタル機器それぞれ独立した200V専用ケーブルが分電盤から直結されたことになる。これはただでさえ気持ちがいい。

ブレーカー換装後一週間は音が安定しないという。確かに換装直後の音は幾らかスピーカーに音が張り付いたような感じで、心持ち音の抜けが悪くなったような、ならないような... 美音は寝て待てか?音が悪くなる要素は何もない。これからの変化が楽しみである。


7/30


【ヴェルレク初体験】

halkuroさんの同級生に二期会合唱団のオペラ歌手貴子さんがいらっしゃる。友達の友達は皆友達ってことで、何度かお酒を飲んだり食事をしたり。その貴子さんからお誘いを受けてサントリーホールに出向いた。知り合いが舞台に立っていると、難解な演奏もいくらか近親感を覚える。

東京都交響楽団創立40周年記念としてマエストロ、ジェームス・デプリーストが指揮をとりヴェルディの「レクイエム」が演奏された。ヴェルディの生レクイエムもサントリーホールも今日がデビューだった。いつも行っている中野のZERO(庶民の味方)と比較してはいけないと思いつつ、やはり格の差を感じた。

座った席が良かったこともあるが響きが違う。ピアニシモの微細な音もホールの反響で包み込まれるように美しく耳に届く。一音一音が混濁なく他の音とハーモーニーを奏で、大合唱は怒涛のごとくパノラマ展開で響き渡る。ブラスの音色は拡散され煌びやかに飛び散る。...てなことは、本当はどうでもよく、「怒り」の絶叫が再現されるたびに眠気が吹っ飛び我に帰る。圧倒的な生演奏の醍醐味をたっぷりと味わった。


(撮影は許可済み)


「平和への祈り」が今回コンサートのテーマである。デプリースがこんな事を言っている。

「音楽は世界を平和にする事はできない。平和を作れるのは、人間です。自分らを馬鹿者にする目的にも、天使にする目的にも、人は音楽を用いる事ができます。選択は人間にあり、音楽そのものに特別な力はありません。

...確かに音楽には力があります。音楽は人生のより高貴なものの例証です。音楽家の責任は、音楽の美しさや力、素晴らしさを人々に伝えることにあります。しかしどんなに感動を与えても、残念ながら人間が一つの事を強烈に受容する能力には限界があります。

ヴェルディの「レクイエム」という音楽に何ができるか?二つの側面があります。レクイエムが焦点をあてる悲劇は、人間が本質的に有する儚さと、奪い去られたものについてです。宗教的な意味を忘れ音楽そのものを考えれば、人知の及ばぬことの悲しさを扱っているのです。私たちに、どう考えるべきか、どう感じるべきか、何ををすべきかを想い出させてくれます。美しく演奏されればされるほど、より良く。見出されるべき平和を扱った偉大な音楽の例です。

平和とは、私たちの内面の平和。すべてはひとりの中から始まります。自分自身が平和でなければ、自分が手をさし伸ばして何かができるとは思えないでしょう。破壊された世界だけではなく、世界とともに破壊された私たちの魂を見つめなければなりません。破壊(9.11)を目の当たりに見て、「善くあろう」という魂に何が起きたのか。善くあろうとすることは、悪いことではないでしょう。」

ヴェルレク初体験後は、興奮も感動も束の間、いみじくもデプリースが言われたように、すぐさま俗人に戻り、明け方近くまで飲み明かしてしまった。でも、それでいいんだとさ。

7/29


【ロックウット山口さんのC-11】


別に自分の想いを公開していた訳ではない。が、しかしその想いを傍受したかのようにロックウット山口さんがC-11を担いで隠れ家にやってこられた。「MC240を使っているならやっぱ相棒はマッキンとこなくちゃ。しかもここは真空管プリでしょ。ランサー101とバランスが合うのはC-11辺りでは?」

外観の程度はそれほど良くはない。が、中身は完全メンテナンス済み。ペケセブンもダイアマークに交換済みとのこと。はじめにJBL SG520で「BILL EVANS TRIO / WALTZ FOR DEBBY」を聴いた後、C-11に交換。整備の行き届いたC-11だけあってか、音の透明感は一枚上、高域の伸びが特にいい。音が柔らかくなるかと思いきや、これが予想に反して鮮烈な音が出た。175DLHが伸びやかにエバンスのピアノを奏でる。

MC-240とC-11とランサー101の組み合わせはJAZZを聴くにはとてもいいバランスである。当分使っていいよというので、お言葉に甘えてしゃぶりつくしてみたい。


7/28


【レモ→XLR】


暑い。東京は連日35℃を越えて、隠れ家はクーラー無しでは天然サウナ風呂状態である。音楽を聴こうとアンプのスイッチを入れると、灼熱地獄へ一直線。20.5にしろ33HLにしろ、京都議定書違反のアンチエコロジー対象製品である。A級アンプ、夏場は鬼門である。

夏場だけA級アンプの使用を止めて省エネにしたいが、シングルアンプに戻すためには別途専用のインタコ・ケーブルが必要だ。我が家のインタコ・ケーブルは全てチャンデバ(LNC-2L)を通しているため、端末のプラグをレモ仕様に換装している。そのままでは33HLには接続できない。何とか既存のケーブルを応用出来ないものかと考えていた。レモ(凸)端子をRCAにしろXLRにしろ凸コンバートするプラグは市場で見かけない。ならば作るしかない。

そこで登場、ケーブル換装のプロ T.H.Labさん。レモ→XLR(RCA)変換プラグの製作をお願いした。
XLR/Mプラグは、CSフィールド扱いのバンパイア製(クライオ済み)を使用。今日その変換プラグが届いた。これでLNP-2Lから既存のバランスケーブルを使って33HLに直結できる。夏場が去るまでLNC-2Lや20.5は夏眠してもらうことにしよう。

7/28


【inaiinaibaさんの電源ボックス】


仕事帰りにinaiinabaさんが隠れ家に立ち寄る。拙宅に来られたのは昨年の電源工事以来で、かれこれ一年位前になる。一年前と比べるとシステムはかなり変わってしまった。いや変更がないのはメインのスピーカーくらいのものか。
「音はかなり変わりましたね」と仰るが、その言葉の裏には「この浮気者めが!」という冷ややかな皮肉が見え隠れする。...と感じるのは、幾ばくかの後ろめたさを抱いている私のひねくれた心情の為せるわざ。inaiinabaさんは純粋にそう感じただけだと思います。

暫く音楽に耳を傾けた後、inaiinabaさんはおもむろに手提げ袋から厳つい電源ボックスを取り出した。
「これ自家製の電源ボックスなんだけど、友人に貸すために持ってきました。ちょっと聴いてみます?」
と悪戯っぽい目をして囁く。

ATCのHIN-LINEを+-で2本使い、特製アルミ(ジェラルミン?)ボックスに埋め込まれたWattagateの24金メッキコンセントModel 381へと繋がっている。特徴的なのはプラグを差し込んだ後、側面をあて金具を介して六角レンチで締め上げ、抜け防止と防振対策を施しているところだ。

これは使ってみたい。早速前段機器のプリとCDに繋いで聴いてみた。音の広がり感は若干後退するもののエネルギー感が増え音はタイトに引き締まる。高域に耳障りではない付帯音が乗り、明るさが増したように聴こえる。これは暫く我が家で使ってみたい。

inaiinaibaさんの友人には私の持っている電源ボックスを譲るということで交渉成立、当分の間この電源ボックスを使わせて頂くことになった。

7/27


【でぇやもんど】


私的にはT2の音は大変気に入っていた。強靭さの中にもしなやかさを持ち合わせ、モニタースピーカーの血筋を引き継いだアキュレイトな音楽再生は非常に説得力を持っていた。ダイレクトラジエターでありながらまるでホーンのような浸透力のある音は、情報量が多い上に骨太のサウンドだった。

その印象が強かっただけにアヴァロン・ダイヤモンドを初めて聴かせて頂いた時は、その音の違いにいささか混乱してしまった。音楽の聴かせ方が微妙に違う。あくまでも記憶に残っているT2との比較で言うならば、エネルギー感よりも表現力、音圧感・マッシブさよりも音場感、正確性よりも音楽性、そんな切り口の違いみたいなものを感じた。
機器のセッティングはセンターに集中していたが、スピーカー以外はシステム自体の変更はない。従って音決めの支配力はやはりダイヤモンドにあるのであろう。


特に印象的だったのは音場感。噂にたがわず音場の形成は見事でした。天井が高いことと相まって、音が降るように舞い降りてくる。左右の広がりは勿論のこと、やや後方に定位した音像がより奥行き感を出している。流行の5.1CHならいざ知らず、ステレオフォニック再生でここまで音像の立体感を感じることは少ない。ハイエンド系スピーカーの一つの頂点なのかもしれない。

音場形成は部屋との相関関係によるが、T2の時に感じた「前に来る音」が、「拡散して定位する音」に変化した(と感じた)のは、ダイヤモンドの形状とユニット(スコーカーとツィーター)の持つ影響力・支配力ではないだろうか。高域方向の自然な倍音の伸びを感じた。またフルオーケストラの再生で個々の楽器の音が明瞭に聴こえる。特にピアニシモの微細な減衰感はこのスピーカーの解像度の高さを象徴しているかのようだった。

導入して4ヶ月、ようやく部屋やシステムとも馴染み一段落しかけた時かも知れない。しかし、でぇ2さんの軌跡を振り返る時、このままでは決して終わらないような気がする。ダイヤモンドに新たな課題を見つけ出し、自らテーマを掘り起こし、これからも自分の音造りのための飽くなき挑戦を果たしていくことだろう。今日聴かせて頂いた音がこれから先どのように変化していくのか、楽しみである。






【一服】

杉並区でポイ捨て条例が施行されてから1年以上たった。昨年秋高円寺駅周辺には公営?喫煙所が一箇所もないと嘆き、○か×かAll or Nothingのヒステリックな対応に愛煙家として憤りを覚えて日記に書き込みをした。同じような想いを抱いた人が何人もいたのでしょう。この春高円寺の駅前2箇所(北口・南口)に喫煙所が設けられた。街は少し健全さを取り戻した。常識あるまともな人は決して人混みの中で歩き煙草やポイ捨てはしない。






【非凡】


雑誌の写真から想像していた音と実際の音に違和感はなかった。違和感はないどころか、想像を超える素晴らしい音に、プロの腕前に感服した。心からオーディオが好きでその想いが音になって現れている。この想いは昨年菅野先生のお宅にお伺いした時にも体感した。オーディオ一筋50年の年季とそれで禄を食む気迫の違い、アマチュアとプロとの違いをまざまざと見せつけられた。

全てにおいてバランスがいい。サウンドステージは広大で箱庭的ではない。フルオーケストラの奏者一人ひとりが手に取るように分かるようで実在感がある。オペラのアリアはピンポイントで浮かび上がり華麗に色彩を放つ。どんなソフトをかけても決して破綻しない。何よりも健康的な音。ここがプロとアマの決定的な差であると感じた。クラッシックは悠々と、歌曲は艶かしく、JAZZはグルービーに、ロックはパッシヴに...文章で表現すると陳腐この上ない。何をかけても破綻なく音楽が楽しく鳴る。音楽そのものがそこにあった。

システムはステレオサウンド誌等に公開されている通りなので割愛するが、マルチアンプ一筋に拘り続けていらっしゃる。35年使い続けているALTECの416Aの綺麗なことには驚嘆した。

寝食を忘れ3週間ぶっ通しでタイムアライメント調整に没頭してやっと満足の出来る状態に仕上がったら、その日からまるまる3週間寝込んでしまったとおっしゃる。情熱と集中力と探究心の一端を垣間見るお話だった。

防音設備が整った専用オーディオルームではなく、普通の一般住宅の一室。部屋の広さは拙宅と同じくらい。試聴位置も割りとニアフィールド。音響対策製品も特に見当たらずノーマルな佇まい。普通の中の非凡、多くの触発を受け沢山の勇気を頂いた。



7/24



【オーディオの勉強】


石川さんの所へ音楽を楽しみながらオーディオの勉強をさせてもらいに行く。古いスピーカーを自作の真空管アンプで鳴らしている音を聴いていると、自分が如何に「ハイファイ」というレトリックに振り回されているかを思い知らされる。それは今でも課題でingなんだけど、一面では無性に「味わい」を求めている自分の声を聴くことが出来る。要は欲が深いのである。

メーカーなり開発技術者ならともかく、音楽を楽しむのにオーディオの物理特性はあくまでも一つの目安に過ぎない。例えばダイナミックレンジという物理特性は広ければ広いほど実音に近づくが、じゃあそれで音楽がより楽しめるかというと、必ずしもイコールとは言えない。歪が無くなれば無くなるほどピュアになるが、味わいは失われる。物理特性だけでは語れない、そこに趣味としてのオーディオの面白み、奥の深さがある。

原理的に6半一発のフルレンジより2ウエイ3ウエイのスピーカーの方が、周波数帯域が広がる。ネットワーク接続よりマルチアンプ接続の方がユニット単体の特性を素直に出すことが可能である。そんなことは百も(いや十くらいかな)承知で、しかし人間の感性の許容性・多様性は数値を超えた次元にあると思ってしまう。

極論を言えば趣味としてのオーディオなんて姿・形も含めてその音が好きか嫌いかの世界である。見方を変えれば物理特性の優劣は、個人の感性の前では「屁」のようなものかもしれない。石川さんの音を聴いていると、そこから流れてくる音楽を通して、自分の中にある想像力が沸々と喚起されてくる。イマジネーションが喚起されないような音は、超高解像の写真を見るようで面白くもなんともない。


面白いアンプがあった。自己バイアス方式でプレート電圧を可変することで様々な球の音色を楽しむことができる。6L6やEL34そしてKT66他色々な出力管を差し替えてみたが、味わいは別としてKT88の表現力はさすがだと思った。


7/23


【マランツ8B】

安西さんの所にセブンの相棒第3弾として8Bが出張サービスにやってきた。外観はかなりの美人だ。オリジナル部品が要所要所交換されているが、経年を考えれば適切な処置だと思う。しかし、残念ながら今ひとつ調子が悪く、うまく鳴ってくれない。リファインされているとはいえ、ヴィンテージ物は扱いが難しい。










【リセット後のモンテカルロさん】

リスニング・ルームに入って、そのシルバーとブラックを基調としたコントラストが目を惹く。音が出る前からその佇まいというか雰囲気に硬派のイメージが沸いてくる。S9500は一度は使ってみたいと思わせるセンスのいいスピーカーである。バーチカル・ツイン方式のウーファー間に収まっている乳白色のアクリルホーンは美しいばかりでなく、音響的にも鳴きが少なく優れたホーンである。ピアノブラックのウーファー部とのコントラストは実に見事で美しい。

美しい姿からはやはり美しい音が聴ける。モンテカルロさんはリセット後(ラックの交換)も低域にまだ課題が残っていると仰るが、私の耳にはどこが?と思うほどバランスのいい鳴り方である。これを鳴らすアンプは駆動力の高さについては折り紙好きのMF711。

モンテカルロさんの音響環境は理想的な空間である。特段の防音対策をとらなくても、好きな音量が自由に出せる。部屋の広さと機器(特にスピーカー)のセッティングそして試聴位置との相関バランスが高い次元で融合している。

女性ボーカルを中心に聴かせて頂いたが、ボーカルは中央前方にシャープに定位し、伴奏の各楽器は奥行きを伴って立体的に展開する。特定の帯域だけが前に飛んでくるのではなく、波紋状に広がりを見せて全帯域がバランスよく試聴位置に届く。これがバーチカルツインとホーンの組合せの為せる技か、スーパーツイーターの隠し味が効いているのか、はたまた音響環境の優秀性のためか。普段自宅で面で押すような音を聴いている私にとっては、この響はとても新鮮でかつ心地よかった。

低域は拙宅の音よりはタイトで引き締まっている。しかし低域が不足しているとは感じない。FM711は制動力の高いアンプなので、ともすると低域の量感を押さえ気味に鳴らすのかもしれない。しかしこの量感の調整くらいは年季の入ったモンテカルロさんにとっては朝飯前のことだろう。





オーディオラックが一新されスチール製の支柱と厚い積層ガラスの組合せで非常にリジッドに組み立てられている。一見Music Tools製に見えたが別物だそうだ。 厚さの異なるガラスを重ねたマルチシートガラスによって、共振周波数を変え、ガラス自体を無共振構造にしている点ではMusic Toolと同じである。ガラスシェルフと支柱の接合方法がスパイクを使わないのでより強固に固定されている。この不要振動の極めて低いリジッドなラックは、かなり音決めのポイントになっているかもしれない。



夕食を近くのハイセンスな本格中国料理店 同心居(トンシンジュ)でとった後、本日のメインディッシュを食する。

実は修羅さんが例のLNP-2を持参されていた。我が家でこれが同じプロダクツとは思えないほどエネルギー感の違いを見せたRCAタイプのLNPである。対するモンテカルロさんはレビンソン現行のリファレンス 32Lである。時代のフラグシップ機対決は果たしてどういう結果になるのやら。

時代差はおよそ30年ある。その間半導体を始めとする電子機器やデジタルの技術は飛躍的に発展した。ところが、この両フラグシップ機はまるで兄弟のように同じ音色を示した。一説によると32Lはレビンソンの原点たるLNP2の音に近づけたという話がある。真偽の程は分からないが、今日私の耳で聴いた限りでは両機種はとてもよく似た音色であった。

物理特性の上では残留ノイズにしろ歪率にしろクロストークにしろ32Lの方が遥かに値が低くなっている。電源部も強化され筐体の造りもより強固なっている。プリアンプの要、ボリュームコントロールの精度なり調整の細かさなどは超精密で、やはり技術の進歩・時の流れを感じる。測定上の数値は全てにおいてLNP2を上回っている。

ところがである。スピーカーから出てきた音色は私の耳で聴いた限り極端な差を感じない。ブラインドテストで両機種の違いを聴き分けることは極めて困難ではないだろうか。少なくとも私には自信がない。LNP2の音質コンセプトが30年の時を経て脈々と受け継がれていると感じた。

今回瞬間切り替えこそ行っていないが、切り替えのタイムラグは無いのに等しい。曖昧な記憶音との比較では無く、ほぼリアルタイムの聴き比べだっただけに両者の音の傾向は適格に掴むことができた。


7/22




【童子さんちの寄合い】

「セミが前に飛んでこない」と仰る童子さんから、オーディオボード借り入れのオファーがあり、ブラック・ホールを持参してオフ会に臨んだ。


CDPをビクターXL−Z999からスチューダーのA727に交換してみたが、このブラックホール乗せは女性ボーカルに艶がのり音場も立体的に広がる印象を持った。床振動からの完全なアイソレートは童子さんのお宅では功を奏してたと思う。課題は響のコントロールと言うところでしょうか。



7/21



【達人】

伊藤さんを達人と呼ばずして、誰を達人と称するか。ここまでピュアに追求する姿勢は感動以外の何ものでもいない。世に達人多かれど、音とコンデンサーの関係を一筋に追い続けて実践されている方を私は知らない。一徹の姿をここに見た。そして音を聴いた。低域から高域まで明快で力強く柔らかく、歪感なく俊敏に立ち上がる音は自然の上に「超」が付く。




平滑コンデンサの役割は両波整流後の脈流を平滑してハムを出さない目的で使われる。平滑コンデンサの容量を大きくするとリップルが減るが、具体的にどれくらいのコンデンサを使えばいいのか、むやみに容量を大きくするとダイオードを痛めるともいわれる。電気回路の教科書によるとアンプの電源部の平滑コンデンサの最適値の計算式が載っている。まあここまでは普通の理解であるが...。

伊藤さんはその昔電源の平滑コンデンサにマルコン電子の0.1μFのNUAをパラに付け足し、音に力強さが加わったことから徐々に平滑コンデンサの付加の道にのめり込まれていかれた。高域が力強くなると相対的に低域に物足りなさを感じ、低域強化のために1μFと4.7μFをパラに追加し、暫くしてバランスの悪さを感じたとき運命が変わった(と勝手に想像)。

ここで4.7μFを取り去るべきか...悩んだ挙句プラス発想、小容量コンデンサを追加して良くなった低音をそのままに、高音も良くなる気がして0.22,0.47、0.1,0.047,0.022μFとだんだん小さなコンデンサを付け足すことになった。すると今度は低域が不足する。また大容量のコンデンサを付加。いたちごっこで付加の量と速度は加速度的に増えていく。コンデンサを付ければ付けるほど音は力強さを増しよくなっていく。

こうしてとうとう行きつくところまでいかれた。秋葉の大容量コンデンサは全て伊藤さんによって買い占められたのでは? なんと1,000万μF即ち10F以上のコンデンサがついてしまった。もうこれはダム並み。もしショートでもすれば落雷状態である。

計算式なり頭の中だけで考えるのではなく徹底して実践して確認する。その試行錯誤の中から真理を導き出そうとする姿勢はまさに求道者である。常人を超えた達人の執念をみた。

「コンデンサが本当の電源」と仰る伊藤さんの持論をここで紹介します。

アンプの電源の重要性は、以前からさんざんいいつくされています。電源コードの強化、トランスの大型化、定電圧電源の導入と様々な改良が行われてきました。しかし、なぜか平滑コンデンサの量はさほど大きくなっていません。大容量コンデンサは高価ですし、スペースもとりますから定電圧回路を入れておこうとなってきたように思います。(しかし)定電圧回路が持つ能力は、その回路に電力を提供する電源、即ち平滑コンデンサの能力を超えることは決してないのです。

.....電源部の中で直流電源といえるのは、平滑コンデンサのみです。交流100Xを使用する限り、平滑コンデンサこそアンプの必要とする直流電源であり、トランスやダイオードは補助の充電機構に過ぎません。


アンプの電源コンデンサーが足りないため、信号が歪んで再生音がボケています。十倍、百倍のコンデンサーを追加すると、この歪は1/10、1/100に減少し、スピーカーから歪の少ない、ボケていない、正確な音を再生しようとします。


つづきはこちらからどうぞ  

更には ラジオ技術 1983年3月号 P221〜「読者の研究」参照


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