9月15日
今日は昼から夜までStudioK'sで音楽と戯れていた。諸々の聴き比べは多数の人が居るからこそ面白い。何度か書いたが、2〜3人だと声の大きい人の意見が通りがちであるが、10人くらいの人が居ると、情報操作をしなくてもかえって意見がまとまる場合がある。KEFをバイアンプ化した音には皆満足していた。スケール感といい音の繊細さといい一皮向けたような音だった。
プリメインアンプをバイアンプの一つとして使うのも、片方の音域の微妙なゲインコントロールが出来ていいかもしれない。マルチチャンネルよりは簡便で気が楽な上、結果にも満足できそうだ。

せっかく手元にJC−1ACが届いたので、こちらも使ってあげることによって輝かせなければならない。気持新たにこちらの聴き込みを行なった。
JC−1ACは相当な気分屋である。恐ろしくハムノイズに敏感である。設置場所10cmの移動でさえアキュレート?に反応する。初めは何処に置いても盛大なハムノイズが発生した。原因はCSEの電源コンディショナーE-100だった。
CSEのE-100をOFFにするとハムのイズは収まった。しかしまだLチャンネルから僅かにハムノイズが聴こえる。そこで筐体を開けて接点周りをクリーニングしてみた。まずはモジュールを慎重に取外し、凸ピンと凹インレットを無水アルコール付綿棒で拭き上げた。pippinさんのおっしゃるとおり白い綿棒が黒くなった。製造から30年、こんな外気にさらされていない部分でも汚れが付いているのかと驚いた。汚れというより酸化・腐食かもしれない。

接点各部を一通り無水アルコールでクリーニングした後、手持ちの接点復活剤CAIGのD100Lを接点各部にごく僅か塗布した。この段階でも赤い綿棒が黒く変色する。かなり汚れがこびりついていたことになる。
一通りクリーングを終わらせ、再び音のチェックを行なった。心持ち音のキレが良くなったような.....。しかしまだハムノイズは消えない。クリーニングでハムが消える訳ははないが、RCAピンの接続具合によってハムが出たり出なかったりする。
コネクターをぐるぐる回しながらチェックしていると、受けのプラグも緩んでいて僅かに動く。再度筐体を開けて確認するとHOTに繋がる抵抗がプラグの動きで切断されていた。この抵抗がどうも悪さをするようだ。抵抗の接触具合によってノイズが発生するようだ。
ハンダで固定し再度音出し。ハムは以前に増して盛大に出るようになってしまった。思い切って片チャンネルだけこの抵抗をHOT側から外してみた。誘導ノイズのループが切断された。ハムノイズはピタリと収まった。とりあえずの応急処置だが、何でもやってみるものだ。
しかし、この抵抗は出力側のインピーダンス補正の為のターミネーターとして使われているものではないだろうか。そうだとすればこれが外れてハムが消えるというのは回路のどこかが接触不良を起こしていると考えられる。付いていなければいけない物が外れる事によってノイズが消えるというのは、やはりどう考えても正常ではない。今日k’sでお会いしたJC−1AC使いの御田さんとも話した。基盤を目視した限りでは接続不良は見当たらない。近々こちらも点検・オーバーホールに出さなければいけないかもしれない。

ノイズが消えたので、とりあえず仕切り直しJC−1ACで今レコードを聴いている。
抵抗を外した性か心持ち低域の力が無くなったような気がする。
それにつけても短絡比較すると乾電池仕様のJC-1の使い勝手はとてもいい。
データー上はS/N比が10dB低いとはいっても、ハムノイズが初めから皆無
(本当に全く無音)というのは精神衛生上とても気持がいい。
今の所ML−1にはDC仕様のJC-1かトランス受けがいいような気がする。
JC-1ACは相当気難しがり屋だ。
逆に言えばセッティングがピタリと決まったら恐ろしい程の能力を出すかもしれない。
挑戦し甲斐のあるヘッドアンプだ。
メンテナンスの様子はこちらから
9月14日
先日のYUさんに続き、フィルさんに反応して「I Say a Little Prayer」について。

アール・クルーといえばフュージョンの旗手というイメージがある。「フィンガー・ペインティング」や和名「そよ風のオアシス」は一世を風靡した。その彼がアコースティックギターで正真正銘の4ビートのJAZZを演奏しているのがこの「trio」volum oneというアルバムである。
この演奏がなかなかいい。私のお気に入りの一枚だ。「奥様は魔女」のテーマ曲から始まるのだが、この一曲だけでも満足してしまう。勿論「小さな願い」も言うことなし。アール・クルーの4ビートJAZZというのは珍しい。3人の息もピッタリ合っている。
もう一つ意外性のあるアルバムの一つにカントリーミュージックの大御所 チェット・アトキンスが演奏している「アーバン・オアシス ステイ・チューンド」(1986 CBS/sony 32DP474)というアルバムがある。チェット・アトキンスがジョージ・ベンソンやラリー・カールトン、アール・クルー、TOTOのスティーヴ・ルカサーらと共にフュージョンを演奏している異色のアルバムだ。このソフト、何度渋滞中のイライラを解消してくれた事か。車の運転時のBGMにはとてもいい。
車を運転される方、一枚このCDをダッシュボードに忍ばせておき、渋滞にはまったら聴いてみる事をお薦めします。間違いなく気分爽快になる事請合います。フュージョンが余り得意でない私もこのアルバムには救われた。
以下ライナーツ・ノートより一部抜粋
-音楽はいい。心を和ませてくれる。全ての音楽が、とは言わないが、この一枚のようなアルバムは、人を暖っかくてほのぼのとした気持にさせてくれる。-
もっともこのCDに限らず同じ曲を何回も聴くとだんだん御利益はなくなってしまうが・・・

Tさんに反応して
同級生のTさんから一冊の本を紹介された。 木工の「匠」が書いた「木工のはなし」。 隙のない文章 表現力 内容の面白さに一気読みした。(大変失礼だが)確かに職人さんの書いた文章とは思えない。一言が重い。その上無駄がなく洗練されている。何よりも含蓄が深い。木工の職人が自分の仕事、木に対して愛情深く語っている。
こういう人にスピーカーボックスなどを作って頂けたら必ずやいい音が出そうだと思った。SDサウンドの石上社長の事が脳裏をかすめた。クラフトマンに共通の探究心・こだわりが伝わってくる。仕事に取り組む姿勢には威厳を感じる。いやそんな安っぽい言い方はかえって本の内容を軽くしてしまう。正にTさんのご指摘のキーワード
"その場に臨み、責務を負わないものが口にする言葉の目方は、何と軽いものであることか"-p234-
この言葉の持つ意味合いが頭から離れなかった。

-早川謙之輔著 「木工のはなし」新潮文庫- (は-32-1 ¥476)
もう一度噛みしめるように読み返した。
9月13日
音楽が連鎖した。
日曜日のOFF会以降サラ、エヴァと聴き続けた。サラは本格的なシステムで聴くと感動も膨らむ。ところがエヴァは大げさなシステムで聴かなくても十分聴き手の心を捕まえる。「time
after time」などは生ギター一本、最後の曲「way beyond blue」などは手拍子だけで歌い上げている。アルバムの製作にはサラと違ってほとんどお金をかけてはいない。しかしそれでも聴き手に迫ってくるsomethingがある。
「Songbird」の1曲目に「Fields of Gold」というStingの名曲が収められている。似たような歌い方をどこかのライブで聴いた。今年の冬Salyuという女の子のライブを思い出した。そこでレナード・コーエンの「Hallelujah」を歌っていた。鳥肌が立った。
もう一人鳥肌が立った「Hallelujah」を歌っているミュージシャンに行き当たった。ジェフ・バックリィ。彼も30歳の若さで逝ってしまった。今月初めにビヴァリー・ケニーのことを取り上げたことと因果しているのか。いずれにしても若すぎる。
エヴァの「time after time」の1曲目P.サイモンのカバー曲「kathy's song」で35年前の想い出がフラッシュバックした。中学生の当時「サイモン&ガーファンクル」やら「ドノバン」のLPが欲しくて欲しくてたまらなかった。
お金が無かった。高校1年の夏休みに中目黒のメッキ工場で始めてアルバイトして稼いだ金で買った1枚が「サイモン&ガーファンクル」のレコードだった。稼いだ金でレコードを買う。それが今に続いている。
当時乾電池で回るシングル盤専用の電蓄しかなく、30cmのLPは出だしの数曲は聴けなかった。それでも乾いた海綿に水が沁み込むが如く「サイモン&ガーファンクル」の歌が心の中に沁み込んでいった。いつかはまともなプレーヤーで全曲通して聴きたいと切望した。その想いが今に続いている。
昨夜は久しぶりに「サイモン&ガーファンクル」のレコードを聴いた。その彼らが今秋、10年ぶりに再結成し北米でコンサートを開くという。

9月12日
得意げになってサラの事を家族の者に吹聴したら、ハタチの娘に白い目で見られてしまった。「何をそんなに大騒ぎしてるのよ」と言わんばかりの冷たい視線を投げかけられ、クールな薄笑いを浮かべて「はい これ」ってハレムのアルバムを見せられてしまった。娘曰くサラ・ブライトマンは今や世界の常識、スーパースターらしい。知らぬはオヤジばかりなり。
考えてみれば ラジオは聴かない TVも観ない 音楽雑誌もSJの立ち読みくらい CDショップもJAZZのコーナー以外は滅多に寄らない およそ最新の音楽情報やヒットチャートなど知る由もない。JAZZ(それも一部)と自分の興味のある以外の音楽については浦島太郎 シーラカンス状態である。
娘の持っていたCDは東芝EMIのコピーコントロールの付いた国内盤。こっちはDVD付きのノーマルCDの輸入盤。ここでまた自慢してやった。ほぼ同じ値段(¥2,540)で音質劣化のないノーマルCDしかもDVD付だ。エッヘン。

ハレムを始めて聴いた時にサラの透き通るような声ばかりではなく、実はその音の情報量の多さにノックアウトを食らった。その後何回聴いてもとてつもない情報量と音の密度の濃さには「最近のシンセサイザーなり打ち込みの技術=コンピューターミュージックの音源の豊かさはアナログ音源を超えているなあ」と感心してしまった。
全くの思い込みである。
付属のDVDのレコーディング風景を見て納得した。出だしの笛、タイコ、パーカッション、ストリングスこれは打ち込み音源ではなく、全てアコースティックなアナログ音源であった。少しばかり自分の耳の良さに自惚れた。
ハーレムの音源の密度の濃さなり豊かさの秘密はアコースティック音源が基調となっていたのである。それに素直に反応していた自分の耳の良さを改めて見直してしまった。ここは少しばかり娘に伊達に長年音楽を聴いてきたのではいぞ、本物を聴き分けられる耳の持ち主だと自慢してやった。それが更なる白眼視の元にもなってしまったが・・・・・
DVDに収められていたレコーディング模様は一見の価値があった。一枚のアルバム作りに莫大なお金と人と時間そしてもの凄いエネルギーが投入されているのが良く分かる。またイギリス、ドイツほかのレコーディングスタジオの様子も良く分かり面白かった。
モニターSPにYAMAHAのNS-10MやB&WのN802更にはオラートンなど使われている。ひとつドイツのスタジオのでかいモニターSPが気にかかった。いやどうも視点がオーディオに向いてしまうのは悲しいサガか。 いずれにしても大いに楽しめるDVDだった。これがコピーコントロール付国内盤と同じ値段なのだから得した気分だ。
次はノーマルCDとコピーコントロールCDとの聴き比べをP-0やTL-0でじっくり検証してみるつもりだ。果たして巷で言われているようにコピーコントロールCDの音質がどれほど音質劣化しているのか。 サラから更なる興味が広がった。ン?
9月11日
一光の希望を持ってコニサーはドック入りさせた。電源レギュレーション周りのトラブルだけで済んでくれればいいと願いつつ。
気が滅入ってばかりもいられない。ハードのイタズラは小休止。こういう時こそ音楽を聴くに限る。日曜日のOFF会以降サラとエヴァにはまっている。掛け値なしに心が癒される。聴いていてとても気持がいい。
演奏家の魂に触れるべく、間とかタイミングに神経を集中して意思を引き出そうとして聴く興奮もある。オーディオシステムを駆使して自分がコンダクターとしてタクトを振り音を操る興奮もある。
一方で私の究極のヒアリングスタイルは大音量の中で眠くなる事も目指している。耳(脳)と皮膚の細胞にまで音が染み込み渡り、ベーターエンドルフィンのシャワーに身も心も浸されて、夢うつつの境界線で彷徨うこと。ソフトもハードも調和が取れていなければなかなか実現できない。
「世界でいちばん美しい声」を持つ唯一無比の女性歌手というキャッチのとおり、サラ・ブライトマンの透き通るような声はとても魅力的だ。そのサラのハーレムにはとてつもない音情報が詰まっている。中低域のしっかりした大音量で聴いてこそ味わえる悦楽の世界である。出だしの音から体がのけぞりかえってしまう。普段JAZZしか聴いていない私にはエンヤ以来の久々の新鮮な驚きであった。

一方エヴァ・キャシディのハスキーがかったくすぐるような声もそそられる。音源はハレムと比べるとギター一本とかの単純なバックだが、プロフィールを知るにつけ、こちらは正に歌い手の内面に想いを馳せると涙が出てしまう(イカン 影響を受けやすく情緒不安定な私の一面をさらけ出してしまった)。
そしてトニー・ベネット&K.D.ラングのしっとりした歌声もこれがまたいい。一日の終わりにこういう音楽を聴いて眠りに就くのは最高の贅沢である。
実は今日は社内的に全社員が月に1度全員集まる会議で、会社を出たの23時を過ぎていたのだが、それが終わってから深夜までボーカルのソフトを聴き続けてしまった。

フィルさんYUさんYTAさんそしてオスカルさんありがとうございます。
9月10日
毎日いろいろな事が起きる。オーディオの神様が祭ってある神社はあるのだろうか。今回も単なる偶然だと思いたい。そうでなければ真剣にオハライをしてもらう事を考えなければならない。何度も同じような目に遭い、もうほとほと懲りてしまった。

ここのところML-1のフォノイコでトランスやらヘッドアンプの聴き比べを行なっていた。そんな折りpippinさんからJC-1のACタイプの情報を頂き、今日現物が届いた。さあDCタイプとの聴き比べをやろうと意気込んだ矢先の出来事だった。暫らく出番がなかった為ヤキモチを焼いたのかコニサーがプッツンしてしまった。

JC-1の聴き比べを行なう聴く前に、暫らく振りでGT2000X+407/GTにライラのカートリッジを取りつけ、コニサー経由でML-1のライン入力で鳴らそうと思った。ところがコニサーから音が出ない。調べて見ると電源のランプが消えていた。昨日まで間違いなくランプは点灯していた。
接続確認をしてもランプは点かない。ひょっとしたらと思いヒューズをチェックした。切れていた。250V 1.6Aのヒューズ たまたま予備が3本あった。付け替えた。ランプが点灯しひと安心。本体にコードを繋いだ瞬間ランプが切れた。再度ヒューズを取り換え電源ON。瞬間で切れた。もう一度。しかし結果は同じ。コニサー本体のどこかに過電流が流れ短絡している。

嫌な言葉が脳裏をよぎる。「物にも心」・・・・ML-1にうつつを抜かしている間にコニサーが氾濫をおこしたのか。単なる偶然だと思いたい。それにしても・・・・なかなかコニサー&ライラで音楽を聴く事が出来ない。私との歯車が合っていないのかもしれない。ちょっとマイナス思考。
果たして修理は効くのだろうか。同じパーツはもうないとも聞いている。アメリカに里帰りしても直る可能性は低いともいわれている。とりあえず修理に出してみることにする。紆余曲折あって、せっかくパートナーのライラが手元にやってきたというのに、憂鬱な日々が暫らく続く。
9月9日
OFF会に行ったり招いたり、贅沢三昧の週末を過ごし、エネルギーがレッドゾーンまで充足された。これで今週は充電無しに乗り切れる。いろいろな方に会いパワーとエネルギーを沢山頂いた。
日曜日は普段耳にしないサラ・ブライトマンやエヴァ・キャシディのCDを聴かせて頂いた。
「井の中の蛙」とは正に私のような聴かず嫌いの者の為にあるのだろう。4ビート系でピアノトリオやせいぜいクインテットどまりの割と単純な音源のJAZZを好んで聴いている耳には新鮮な響きだった。
ボーカルものでも打ち込み系やシンセの音源がバックのものはまず聴かない。どうもアコースティックの響きに拘ってしまう。
そんな日常性の中、日曜日のOFF会で聴かせて頂いた女性ボーカルのソフトは、新たな発見の連続だった。サラ・ブライトマンは聴いていて気持ちがいいばかりではなく、スピーカーや部屋を含めシステムの能力が試される恐ろしいアルバムでもあった。一歩間違うと音の洪水にボーカルが飲み込まれ収拾がつかなくなってしまいそうだ。(このソフトとE・キャシディは早速輸入盤をgetした)
i-3がセッティングしたてでi-1との調整はほとんどく出来なかった。納品後ずっと出ずっぱりだったので、セット後始めてi-3の電源を入れたのは実はOFF会の始まるほんの数時間前。不安の入り混じる中でのOFF会のスタートだった。せっかくお越し頂いた方に音を聴いて頂くには明らかに準備不足で、本来ならば大変失礼な情況ではある。
いい訳けがましいが、案の定低域の処理には問題が残った。明らかにエージング不足でi-3には硬さがあった。i-1との繋がりもアッテネーター調整不足で、低域が膨らみ過ぎていた。しかし今回のOFF会は正直な所、それはある意味どうでもいいことだった。むしろ音以前の語らいの中に私は大きな満足感を感じてしまった。
お集まり頂いたのはフィルさん YUさん YTAさん。先日StudioK’sの6周年パーティで一瞬お顔を合わせ挨拶させて頂いた。既述したがk'sは山本さんを核としたオーディオファイルのスクランブル交差点、その意味でインターネットと共に私のオーディオライフを大きく変えた特別な存在である。
フィルさんはかの有名なサイトDEJAVUの主催者。オーディオや音楽への取りくみ方、サイトの運営の姿勢には頭がさがります。実際お会いして話をすると、既になんともいえない大器の風格が漂っていました。雰囲気というか佇まいに独特のオーラがあります。ステサン誌の「レコード演奏家訪問」登場記を読んだ時感じたイメージと、実際にお会いしてみて話した時のギャップがこれほどないというのも珍しかったです。
YUさんはi-1を通して私と兄弟の杯を交わした同好の士。AVALON ACOUSTICS EIDOLONを使われているとお聞きしていたが、その選択の経緯と入手、そしてその後の鳴らし込みの姿勢にはEIDOLONへの並々ならぬ「愛情」が感じられました。使われている機器が一部同じ物というのもなんだかとても近親感があります。
YTAさんは雰囲気だけではなく、発する言葉にセンスがにじみ溢れ、にわかには大音量派とは想像がつきませんでした。しかし思いのほか熱く激しい情熱の人で、YTAさんから「聴いた者の責任」という言葉が出てきた時には、思わずこちらのテンションも上がってしまいました。コモンセンスと大人という言葉が良く似合います。

皆さん年齢的には私より若干?お若いが、ある意味で私より「大人」のオーディオファイルの面々である。押しなべて皆さん「耳」が肥えていらっしゃる。しかし、いわゆる耳年増ではなく、それぞれに自分の目指す確固たる「音」を持っておられる。
積極的な活動で数多くのOFF会に参加し、いろいろな方達の音を聴かれている中で、自分にとっての「達人」と出会い、その人の音と自分の音との間隙を少しでも近づけようと日々挑戦されている。しかもハードの面だけではなく。その姿勢がとても素晴らしい。オーバーではなく日本のこれからのオーディオ界はこういう人達によって支えられていくと思った。

皆さんと話をしていて何が楽しかったと言って、個々的な製品や機器の型番でオーディオを捉えているのではなく、もっと大局的に音楽と音そして何よりも人との関わりの中でオーディオを捉えているということだった。だから幾ら話をしても汲めども無く話題が尽きない。そしてあっという間に時間が過ぎてしまった。

私も含めて往々にして型番で音を聴いてしまう。あるいは視野狭窄的に「決めつけ」を行なってしまう。DENON DL103はこう言う音、マッキンのMC352はこんな音、もっと言ってしまえばJBLはこうでタンノイはああだ みたいな捉え方をしがちである。オーディオは実はそんな単純なものではない。同じJBL4348でもケーブル一本、置き方一つで音はガラッと変ってしまう。
部屋やシステムもさることながら、実は「人」そものが音を決める最大のファクターだと思う。フィルさんYUさんYTAさんはその事をちゃ〜んと分かっていらっしゃる。頼もしいオーディオファイルの方々で、これからも末永くお付き合いをさせて頂きたいと思った。なんと言っても楽しい。とても幸せなひと時だった。

9月6日

西鎌倉 pippinさんのお宅から眺めた夕日です。
朝はこの空にとんびが2羽「ピ〜ヒョロロ」と鳴きながら大きな円を描いていました。
蒸し暑さの中にも、風はもう秋の匂いがしていました。
pippinさんのお宅にお邪魔した。レビンソンのML-1が初期型から後期型に変っていた点を除き、前回の訪問からシステムの変更はない。もういじる所が無いくらいpippinさん音は「pippinさんの音」で安定していた。
システム個々の機器(YAMAHAのMX-10000やB-2X、GT-2000X、GT-CD1それにJBL4343にしても)は皆もの凄いポテンシャルを持っている。普通はその能力の限界近くまで追い込んで音を出そうと思いがちである。ところがpippinさんはそれぞれの機器の美味しい部分の頂点のひとすくいをさらって、さらりと音を出しておられる。正に余裕の音である。(赤字訂正・・・失礼しました)
音量も私の部屋の半分以下だが、逆に長時間聴いても全く疲れない。音楽を聴く道具としての本来のあり方かもしれない。そんなシステム環境の中で、おじさんどもが5人集まり一日中アナログを聴いたり話に興じたりでほのぼのとした時を過ごした。

イケダの9CUを聴いた。
イケダのカートリッジといえば純正シェル込みで音作りをしているので、
普通は一体として使われている。
アームもその大半がFR64Sとかイケダ純正アームIT-345で使われている。
407/GTで聴いてみようとシェルを取り付けたが、重量が重すぎてバランスがとれない。そこでよっしーさん持参の11gのシェルに付け替えて鳴らしてみた。
これが大成功。ひょうたんから駒。常識を疑ってかかるのも時には必要である。
不要共振排除の高剛性・重量級ヘッド・シェルがベストとは限らないものですね。
今日聴いたいろいろなカートリッジの中で一番バランスの取れた美音を響かせていた。
GT2000用のインシュレーターを自ら作られたzibbibosさんに始めてお目にかかった。世界に冠たる某メーカー勤務の工学博士。地球上から髪の毛一本探すようなナノの世界の研究をされていらっしゃる。
勤務の半分近くが米国や欧州での海外暮らしで、昨年日本に帰ってきたばかり。海外でのオーディオ事情や業界の裏話など普段耳にする事が出来ないお話が聞けて楽しかった。
そのメーカーでは朝から晩までピアノを弾いていた人がある日突然とんでもない製品を開発したり、試作段階の失敗作が山のように出て、その中にはお宝物がゴロゴロしているととのこと。普段の研究とは反対のスケールの大きな話だった。
9月4日
マッキン使いの友人からちょっとお小言を頂いた。マッキンがダメなどと言うつもりは全くない。長年マッキンを使い続けてきたので、このアンプの良さは自分なりに熟知しているつもりである。大好きなアンプには変りない。
(バタ臭い)中域の厚さは格別である。言い訳けがましくなるが、今回の組合わせに限って結果が思わしくなかったに過ぎない。シングルで鳴らしていた時には今回のような締りのない音ではなかった。
もともとこの10畳足らずの部屋で4348を鳴らすことには無理があり、おまけに大出力のMC352を低域だけで鳴らした訳だから、オーバースペックは当然の事。バイアンプによりMC352への負担が少なくなった。結果的に低域が出過ぎのように聴こえ中高域とのバランスが崩れたのではないかと思う。
「i-3の帰還が待ち遠しい」のは本当だったが、別に調整を催促した訳ではない。心行くまでゆっくりと調整して頂きたいと言うのが本音である。ところが何と昨夜、突然石上さんが新しいi-3を持って来宅されたのだ。車を飛ばしても高円寺と埼玉の杉戸町では2時間近くかかる。
「せっかくi-1とのバイアンプの音が気に入られているので、早く音が聴きたいのではないかと思って持ってきました。」
ドアチャイムが鳴り、玄関扉を開けるとi-3を抱えた石上さんが立っておられた。その姿を見たとたん胸がつかえて言葉にならなかった。私に文才があればあらん限りの力を出してその喜びと感謝の心情を吐露したいのだが・・・・。

左チャンネルのわずかな発振はインピーダンス補正が若干甘かったことが原因らしい。真空管アンプは石に比べてインピーダンスが高い。その上出力トランスを積んでいないOTLアンプでは30〜32Ωものインピーダンスがある。それを補正回路で調整して4〜8Ωのスピーカーにマッチングさせなけらばならない。
使用環境の電源事情や機器との相性・取り回しによってはハムを誘発し場合によっては発振を起こす事もある。その意味では石のアンプに比べデリケートである。
今回持ち込まれた新しいi−3は発振もなくi−1とのペアで快調に作動してくれた。

SDサウンドの石上元康社長 長年OTLアンプの製作一筋に取り組んでいらっしゃる。
フッターマンタイプのOTLアンプは、他の多くの出力トランス付き真空管アンプに見られるトランスの特質によって起きる損失や歪が発生しないというメリットがある。いわゆる真空管らしい量感豊かなふくよかな音を求める人には向いていない。
しかしトランスレスの為、広い周波数レンジが確保でき、音像のエッジが効いたクリアかつアキュレートな音である。ハイエンド・ローエンドとも伸びやかさがあり、特に低域の分解能・制動力が高い。駄耳の私にでも一聴してその違いが分かる。
動作チェックで石上さんと一緒に聴いた聴いたクリスチャン・マクブライトのアルバム「Getting'
To It」の5曲目[Splanky]。マクブライトとレイ・ブラウン、ミルト・ヒントンの三つ巴のベースが展開されるが、ともすると団子状に聴こえるウッドベースも音像や音程を明確に描き出し、制動力の効いたタイトな低域を響かせてくれた。
i−1、i−3ともSEPP回路の正負のバイアス調整を左右チャンネル分備え、トラブルを未然に防げるようになっている。先日内部配線の模様を画像でアップしたが、左右のチャンネルでの位相差を排除すべく配線経路の長さは全て揃えてある。またスピーカーSEPP回路の変動を検知すると出力を遮断する保護回路、インプットON/OFFスイッチ等の安全対策も施され安心して使う事が出来る。
製品の品質・能力・満足感そして何より音質を考えると、これほどコスト/パフォーマンスに長けたアンプを他には知らない。その上アフターサービスのきめの細やかさは感動以外の何ものでもない。
9月3日
ポッカリ穴が開いたラックを見ていると、なんだか寂しい。i−3はいずれ戻って来るにしても、その間何かで穴埋めしようと見回すと、「俺を見捨てたのか」と言わんばかりにマッキンがブルーの二つ目で睨みつけていた。不思議なものである。i−1シングルで鳴らしていた時は、下にマッキンを置いていたのだが鳴らす気にならず、ずっとラックを温めていたのに。

ひとたびバイアンプの魅力に取り憑かれると、もうシングルで鳴らそうと言う気にならなくなってしまった。マッキンMC352を低域に繋ぎウーファーだけを鳴らしてみた。
見た目はとても絵にはなる。ブルーバッフルにブルーアイズ 薄赤い真空管のほのかな光とホワイトボディ、ディスプレイとして眺めているだけならそれなりの雰囲気があり、とてもJAZZYな感じである。
 
ところがこの組み合わせは見た目とは裏腹に相性が悪かった。球と石 トランスの有無 出力差 その他いろいろな要素が絡んでいると思うが、 お互いの機器が持っているいい面がスポイルされ、出てきた音は少なくても私好みの音ではなかった。
短時間の聴き込みで短絡的ではあるが、ファーストインプレッション(それこそ7秒試聴)は今ひとつだった。低域がぶよぶよで緩く、かつてのブーミーさが蘇ってしまった。スパッと歯切れのいいタイトな低域ではない。中高域も低域のかぶりを受けてか奥に引っ込みがちで今ひとつ歯切れの良さに欠ける。押し出しが悪く何とも音がだらしなく聴こえる。
それぞれの機器が持つ音色の差もあるのだろう。OTLはOTL同士、マッキンはマッキン同士で組み合わせて調整していくのが王道かも知れない。友人の持っているMC2600を借りてマッキン同士のバイアンプという手も一瞬頭に浮かんだ。が、昨日まで聴いていたOTLアンプ同士の音色・音質の前にはかなわない気がする。i−3の帰還が待ち遠しい。
9月2日

SDサウンドの石上社長がi-3の初期メンテナンスの為に来宅された。
先日石上さんから「その後のi-3の具合はどうですか」というアフターフォローの電話があった。その時「電源投入前後に左チャンネルのウーファーから僅かに2〜3度ボコボコっと音が出る」旨お話しをした。強烈な突入電力の性だろうと、それ程気になることでもなかったが、「一度メンテナンスに行きましょう」という事になり、今日遠方よりわざわざ駆けつけて下さったのだ。
i-3の状態をつぶさに確認され、「これは一度引き上げて細部の点検をしてみます」という事になった。そういう事態も予想されてか、わざわざ代替機まで持参されたのだ。石上さんに直接お会いしたことがある方は、「ウン ウン」と納得される事だろう。正にそのようなお人柄の方で、ただただ静かに頭が下がる。
頭がさがったのはそれだけではなかった。持ち込まれた代替機の動作チェックをしてみると、僅かに誘導を拾っていた。我が家の電源事情によるものだが、石上さんは「電位のチェックをしてみたい」と代替i-3に繋がる全ての機器の電位の極性をチェックされ始めた。
実はこれは結構大変なことで、i-3に繋がる全ての機器(7台分)の入出力のケーブルを外し、機器一台一台のコンセントの差込みを入れ替えながらテスターで電位差を測るのである。プラグは全てホスピタルグレードの3P端子なので2P変換アダプターを挿入しての+−差し替えチェックである。一応私なりに極性は全て統一してあったが、誘導ハムを拾う第一の原因は器機間の電位差なので、再度念入りに再チェックされたのだ。

気が滅入る大変な作業を行なって頂いたのだが、残念ながら代替機の誘導ノイズは消えなかった。キッチンの洗濯機コンセントに付いている接地アースからアース線を引き伸ばして繋いでもみたが、ハム音は消えなかった。
ひとえに我が家の電源事情と機器との相性によるものなので、今回は残念と言うほかない。代替機から誘導ノイズを消すには内部配線のアースの引き回しを調整し直さなければならない。代替機の出番はなくなった。せっかくお持ち頂き、おまけに電位チェックまでして頂いたのに申し訳ない気持で一杯だった。
石上さんにとって自分が作られた機器は娘と同じなのだろう。嫁ぎ先でうまくやって欲しいと願う親の一念と重なって写ってしまう。オーディオ機器を通してそこに人がいる。

ポッカリ穴があいてしまった。
9月1日

JC-1の音がたまに途切れそうになる時がある。どこかで接触不良を起こしている可能性もある。設置場所の問題もあるが、ある程度の音量でならすと筐体が振動している。そこでインシュレーターとオモリで筐体の振動を押さえてみた。すると音切れは皆無となり、おまけに音にも力強さが出てきた。これは思わぬ副産物。
考えてみれば微小信号を扱う音の入り口部分は、リジッドに固めるのがセオリーなのであろう。DENONのトランスAU-S1などは徹底した共振排除を図り、ハウジングに高剛性、非磁性体アルミ削り出しボデイを採用し、煙草の箱2つ分ぐらいの大きさ(横幅)にもかかわらず3.2kgもある。
インシュレーターやオモリは手持ちのあり合わせの物を使用した。この辺への拘りは全く無い。筐体の微振動が排除できれば何でも構わない。取り急ぎの応急対策を施したが、一度はJC-1の内部をクリーニングも含めてメンテナンスをしてみたい。
そういえばpippinさんはML-1の接点クリーニングを行なったら、見違えるほど音がクリアーになり別物のアンプのようになったと話されていた。暇を見つけてこれは是非試してみたい。

オモリを乗せたJC-1の試聴に女性ボーカルものを聴いてみた。ビヴァリー・ケニーの「シングス・フォー・プレイボーイズ」。私より少し年代の上のいわゆる「団塊の世代」の方には、このビヴァリー・ケニーの熱烈なファンが多くいらっしゃる。美人薄命・ミステリアスな生涯というファクターも影響していると思うが、歌声がなんともチャーミングである。
Megの寺島さんは「ギュッと抱きしめたいあどけなさ」と評して「まあとにかく可愛らしい。男ならギュッと抱きしめて胸の中でコナゴナにしてしまいたい。そのコナゴナになった破片を煮て食べてしまいたい。まさにそんな衝動にかられるような歌い方です。もしこの女性をご存知ない方がいたら、聴かずに死ぬのは一生の不覚。ぜひ一度ご堪能下さい。」と話されている。ちょっと強烈。
好みの差はある。でも確かに秋の夜長にビヴァリー・ケニーの歌声は良く似合う。ついでにしっとり系ならジェリー・ロンドンの右に出る人はいない。昨夜は久しぶりに女性ボーカルを聴いてウトウトしてしまった。

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